キャラメルポップコーンの今日も映画館へ行こっ!

フリーターが書く映画の感想ブログ

 アイリッシュマン ★3つです❕❕感想~☆彡

こんにちは~☆彡

キャラメルポップコーンです。

 

12年!! 

マーティンス・コセッシ監督(78歳)が

アイリッシュマン」の完成までにかけた

日数です。

脚本の執筆、オーディション、約6,000人の

エキストラ、200以上のキャラクター、

295カ所の撮影地を採用。

撮影・編集など、完成までにかかった日数が

12年間だったという!

長いよ… 長い…

小学校1年生が高校3年生になってますよ💦

どうして一つの作品にそこまで情熱をかけられる

のでしょうか?奥さんは5回も変わっているのに…

マーティン・スコセッシ監督の映画への愛💖と

情熱🔥はハンパない❕❕

 

それを知っていたら、決して睡魔に負けずZzz…、

体調万全で鑑賞したのですが…

苦手のマフィア映画、

たくさん出てくるキャストの名前、

長い年月のお話…思わず…Zzz…💤 

2度目の鑑賞は、アカデミー賞ノミネート後だった

ので劇場は以前よりたくさんのお客さんがいました✨

60代以上の方が多く、

たぶん「ゴットファザー」世代だと思います。

 

 

【ある男性の呼び名がジ・アイリッシュマン…】

この物語は、ジ・アイリッシュマンと呼ばれた

実在のヒットマン:フランク・シーランの

伝記です。

フランク・シーランが

アメリカ史上、最も重要な未解決事件」

へと関わっていく様子をじっくり描いた

3時間半の映画です。

3時間半とは、とにかく長いのですが、

とりあえず3名の大物をおさえておくと、

分かりやすいと思います。

 

① 🚚主人公のフランク・シーラン:ロバート・デニーロ(76歳)!

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フランク・シーランは、二人の男の

パシリ的な存在???

いえいえ!

多くの事件に関与した実在のヒットマンで、

25人以上の殺人に関与したそうです。

フランクは、アイルランドアメリカ人で、

第二次世界大戦ではイタリア戦線で戦い、

戦後に食肉配達の

トラック運転手となりました🚚 それから…

 

 

② 😎伝説的マフィアのラッセル・ブファリーノ:ジョー・ペシ(76歳)!

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ジョー・ペシ

すでに俳優を引退していたのですが、

ロバート・デニーロマーティン・スコセッシ監督

50回の説得を受け、出演を決めました!

 

そんな、ジョー・ペシが演じるラッセルは、

伝説的マフィアであるが、

裏社会の大物には見えない腰の低い

紳士然とした人物だという。

たしかに、初めてフランクに会ったのは、

フランクのトラックが故障し困っているところ。

困っているフランクを助けたのが、物腰が柔らかで

親切な老人ラッセルだったのです。

その出会いをきっかけに…再び出会う二人だが…

 

 

③ 🏁全米トラック協会の会長のジミー・ホッファ:アル・パチーノ(79歳)!

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当時、ビートルズより人気のあった

カリスマ的指導者🏁:ジミー・ホッファ。

全米トラック協会の会長であり、労働運動における

カリスマ的指導者であった。

マフィアのラッセル😎が、主人公:フランクに

トラック協会会長のジミーを

紹介するのだが…

1975年7月30日、ジミー・ホッファは

行方不明となり

二度と戻らなかった。この事件が

アメリカ史上、最も重要な未解決事件」

言われるものであり、

この作品のテーマでもあります。

 

 

 

【あらすじ】

 

映画の冒頭は、主人公:フランクがお爺ちゃん

となり、老人ホームでアメリカの裏社会について

回想するシーンから始まります。

フランクは、第二次世界大戦後は、食肉配達の

トラック運転手🚚になるが、ある出会いにより

イタリア系マフィア😎:ラッセルの下で働く

こととなる。

最初は、みかじめ料の集金だったが、

最終的にはヒットマン(殺し屋)となった。

そして、次の出会いへ。

 

マフィア:ラッセルの紹介で、当時のアメリ

では知らない人がいない程、有名だった

全米トラック協会の会長:ジミー・ホッファ🏁

と出会う。

ジミー・ホッファは、労働運動における

カリスマ的指導者であったが、

裏ではマフィアとのつながりもあった。

ジミー・ホッファは、フランクを気に入り、

自分のチーフ・ボディーガードとして雇い、

そして家族ぐるみの付き合いをするようになる。

特にフランクの

娘は、ジミー・ホッファと仲良しになる。


時代は1960年と進み、ジョン・F・ケネディ

が大統領となり、

ケネディーの弟:ロバート・ケネディーが

司法長官となった。

ジミー・ホッファ🏁は、ニクソンを指示していた

ことから、ケネディー政権ににらまれてしまう。

 

ジミー・ホッファは、

司法長官:ロバート・ケネディーから、

巨額の年金の行方や、マフィアとのつながりに

ついて、激しい追及を受け、刑務所に収監

されてしまう。

刑務所に入っている間は、労働組合の後任に

部下:フィッツ・シモンズを選び、

任せていたのだが…

 

ジミー・ホッファ🏁は、組合マネーを地方支部

から中央へ吸い上げる「中央集権方式」をとり、

フィッツ・シモンズ(ジミーの部下)は、

組合マネーを地方支部へ分散した

地方分権方式」をとり、

北米各都市のマフィアに歓迎された。

やはり、お金の魅力は人を変えます💰💰💰 

マフィアも、若くて美人の女の子も、

お金をくれる男性が大好きです💰😎💰

 

ジミー・ホッファは、

マフィアと付き合い始めた最初の頃は、

自分が組合を仕切っており、

マフィアのことをコントロールできる

と思っていたが…

いつの間にか操り人形にされ、

最後には必要とされなくなっていた。


1971年、ニクソン政権の頃、

恩赦により出所したジミー・ホッファ🏁。

組合の委員長に復帰しようとするが、心変わり

したフィッツ・シモンズに拒否される。

委員長に復帰するため躍起になったジミー・

ホッファ🏁は、

フィッツ・シモンズとマフィアとのつながり

を持ち出し、彼を批判したり、

次第にマフィアを敵に回していく…

 

 これから先は、どうぞ映画にて

お楽しみください☆彡

 

 

マーティン・スコセッシ監督(78歳)】

1942年生まれ映画監督、脚本家、俳優、

映画プロデューサー。

イタリア移民で、アメリカニューヨーク市

クイーンズ区に生れ、

リトルイタリー(マフィアの支配する

イタリア移民社会)で育つ。

 

幼少のころから喘息もちの為に外で遊べず、

子供時代から映画に親しんでいた。

イタリアのロベルト・ロッセリーニ監督、

フランスのジャン・ルノワール監督、

日本では「雨月物語」の溝口健二監督など、

世界の古典映画をみて育つ。

 

そして、ニューヨーク大学の映画学部へ

進学する。

黒澤明監督を敬愛しており、名画座に通い

黒澤映画を見ていたという。

実際のフィルムを入手し、カットの構成を

研究しつくした程であった。

 

黒澤明監督の映画「夢」(1990年公開)に、

マーティン・スコセッシ監督は、

画家のゴッホ役で出演している❕❕

 

 

 

 ✨ 少しだけ黒澤明監督について書いたことがあります↓ 

 

cinema-caramel-popcorn.hatenadiary.jp

 

 

 

マーティン・スコセッシ監督とぜん息】

人は何のために産れてきたと思う? 

この世でやるべき ❝使命❞ を

やるために産れてきたんだよ。そのために肉体を

もらって産れてきたんだよ。

そんな話を聞いたことがあった。

 

大阪日本橋の「中川無線電機」の

創業者:中川昌蔵(1914年ー2002年)。

中川氏は、電気街の先駆けで、仕事一筋で

生きてきたのですが60歳の時に

不思議な病気にかかります。

その人生を描いたのが

本「守護霊との対話ー中川昌蔵の世界ー」

小林正観著 弘園社 です。

 

中川氏60歳当時、店舗数48、社員450名ほどの規模となった中川無線電機。

そんな中、社長の中川氏は、原因不明の病気となる。

病院で開腹手術をするも危篤状態となり、ベットのなかで目を閉じ、真っ暗で

何も見えない中で、ある男性の声がした。

 

「この者の命は終わった。」と。

そのとき別の声もした「いや、この者の使命はまだおわっていない。」と。

後者の声を聞いた途端、中川氏は、

「そうだ、こんなことはしていられない!!商売に熱中して忘れていたが、

自分は使命を持って生まれてきたのに、まだ何もしていなかった」

と「気付いた」というのです。

 

そう思ったとき、体はブルブル震え、はね起きたと言います。

 

危篤状態を脱し、翌日には出血も止まり、体も元に戻りました。

魂というのは、もともと目的をもって輪廻転生しているはずなのに、

私はそれまでの60年間、仕事ばかりでその目的をすっかり忘れていたのです。

~略~

神様は私の注意を引き、その使命を思い出させるために病気にしたのでしょう

 

~ 以上、わたしの抜粋です。 ~

 

 

ああああああああ! こんな怪しいことを

ブログに書くつもりはなかったのに! 

マーティンスコセッシ監督の生い立ちを読み

ながら、映画「クンドゥン」を見ていると、

どうしても書きたい衝動に

駆られてしまいました💦


巨匠:マーティンスコセッシが元気いっぱいの

少年だったら、リトルイタリーのマフィア社会の

一員になっていたのでないか?

あれだけのマフィア映画を作ることができる

のだから、その社会で生き抜く才能は持っていた

と思うのです。

しかし、ぜん息のお陰でその世界に染まる

ことなく、映画の世界へどっぷりとつかって

いったマーティンスコセッシ。

 

そんな「ぜん息」ともお別れの日が

やってきます👋👋

 

 

 

監督を苦しめてきた持病の喘息は、

映画「クンドゥン」の製作中に

治ってしまった❕❕❓❓❓

 

 

【クンドゥン 1999年7月10日公開】

当時のアカデミー賞ノミネート作品❕❕

チベット仏教の最高指導者:ダライラマ14世

の前半生を忠実に映画化した作品です。

ハリウッド資本ながらも低予算、

出演者ほぼ全員を素人のチベット人キャスト。

監督自身が「私の監督作品の中で唯一、

本当に愛することができる映画

と述べている。

 

多くのマフィア映画を作ってきた監督が、

対照的なダライ・ラマの映画とは❕❕

実はマーティン・スコセッシは、

少年時代はカトリックの司祭を目指していた。

ダライラマ14世(1935年7月6日生)

1940年在位、現在も在位中。

4歳の時にダライラマ14世と認定され、1940年に即位する。

1959年にインドへ亡命。

映画「クンドゥン」では、ダライラマの転生者である少年の発見から

彼の成長と、チベットを脱出しインドへ亡命するまでの22年間を描いた映画です。

 

その後、ダライラマ14世は、1989年ノーベル平和賞を受賞しています。

他にダライラマ14世を描いた映画は、

ブラッド・ピットが演じた「セブン・イヤーズ・イン・チベット

(1997年公開)があります。

 

 以上、ウィキペディアより抜粋しました。

 

 

驚くべきは、少年時代から悩まされていた

持病の喘息が、

この映画の製作中に治ってしまった❕❕こと。

喘息は、幼少のころからNY市リトルイタリー

のマフィア社会の中で育ったにも関わらす、

映画に親しむしかない環境を与えてくれた。

 

映画監督として多くの賞を受賞し、名声、

実力ともにTOPに上り詰めた後に

ダライ・ラマ14世の映画を作成する気持ちに

至らせる。

そして何か❝ご褒美❞のように、幼少のころから

持病だった「ぜん息」をなおしてしまった。

まるで、産れてくる前に約束していた❝使命❞

を果たしたご褒美のようだな~と、

感心してしまいました。

私の身内もぜん息で入退院を繰り返して

いますが、ステロイド治療で完治するよう

には思えません。

そういう病気が仕事をして治るとは、

不思議なことですよね☆彡

 

映画監督になり、チベットの最高指導者

ダライラマ14世の生涯を

描き、世に送り出すことは、マーティン

スコセッシ監督のひとつの❝使命❞ だった

のかもしれません。

「クンドゥン」は、1998年のアカデミー賞

に4部門もノミネートされました。

脚本は「E・T」の脚本を務めた

メリッサ・マシスン

ハリソン・フォードの元妻)だそうです。

みんな、すごい影響力のある方ばかり! 

こういう出会いも

「運命」なのかもしれません。

 

「運命の出会い」と言えば、

アイリッシュマン」でも主人公:フランクは、

ただのトラック運転手🚚だったのが、

二つの❝出会い❞から、

ヒットマンにまでなってしまいました。

フランクの残虐性は、第二次世界大戦

兵隊の頃から突出していましたが、

ふたりの子分にならなければ、25名もの

人を殺さなくてよかったのかもしれません。

アイリッシュマン」私は、マフィア映画が

苦手なので、3つ❕❕と しましたが、

こういうタイプの映画が好きな方は、3時間半

じっくり楽しめる作品だと思います☆彡

 

それでは、長くて拙い文章を読んでいただき

ありがとうございました🌸

また、来てね~☆彡

 

 

【映 画 情 報】

公開日 2019年11月15日

監 督 マーティン・スコセッシ

出演者 ロバート・デニーロジョー・ペシアル・パチーノ